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あのことだな、と房一は思つた。訊いてどうかな、とは感じたが、相手があまりさつぱりしているので、
根津が箱根における化物話は、それからそれへと伝わった。本人も自慢らしく吹聴していたので、友達らは皆その話を知っていた。
「これから又お出掛けかね」
「だつて、喜作さんはこの土地にはいないでせう」
「どうぞよろしくお願ひします」
神経質な目ばたきをしながら、練吉は口早に引きとつて云つた。
「さうですか。それは――」
見たことのない顔だつた。患者なら玄関から来る筈だ。
その当時は差したることでもないように思っていたが、翌年の春になっても痛みが本当に去らない。それが打身のようになって、暑さ寒さに崇たたられては困るというので、支配頭の許可を得て、箱根の温泉で一ヵ月ばかり療養することになったのである。旗本といっても小身しょうしんであるから、伊助という仲間ちゅうげんひとりを連れて出た。
冬近い冴えた日ざしが午過ひるすぎの河原町の長い、だが人気のない通り一杯に溢れていた。一体みんな何をしているんだらう、まさか軒並みに夜逃げしたわけでもあるまいのに、と呟つぶやきたくなるほど人の子一人いなかつた。そして、冴えているがしだいに温ぬくもりの増して来る日は、何だかのうのうと、つまり誰もいないので日そのものが路一杯にひろがつて日向ひなたぼつこをしているみたいであつた。
正文はその傍に近づきながら、他の用事で来たついでのやうに云つた。
「お松ですか?お松は半之丞の子を生んでから、……」
房一は患者の前にもどつて来た。